「私のあしあと My History」の項では、
私の歴史を少しお話しさせていただこうと思います。
前回に引き続き、第2回は幼少時代の後半をお届けします。
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子供の頃、コンプレックだらけだった私にも、
ひとつだけ自慢できる特技がありました。
それは、絵を描く事です。
コンクールに入賞することも多々あり、
白い紙にいろいろなモノを表現することは、
私にとって『夢』を実現してるかのようで、
とても楽しい作業でした。
幸いにして、手先は元来、器用だったんでしょう。
着せ替え人形の服づくりといい、
モノをつくることだけは、姉にも負けなかった。
たったひとつだけでも『自信』を持てる何かがあれば、
人はポッキリ折れることなく、
前を向いて生きていけるのかもしれません。
封建的な家父長制度の大家族の中において、
残念ながら、父親が私に対して果たした役割は、
あまりにもお粗末なものでした。
ハンバーグや海老フライが食べられないこと、
高価な持ち物が買えないことが不幸なのではありません。
戦うべき武器も、道を切り開く知恵も持たない幼子のとって、
自分を温かく守ってくれる愛情は、唯一無二の宝物です。
もちろん、これは大人になって気付いたことで、
子供時代の私は、物質的な欠落を充分、不幸だと思っていました(笑)。
でも、潜在的に一番欲しかったのは、温かな愛情だった。。
今まで、いろんな方と出会ってきましたが、
親等など親しい人から愛情を受けて育った方は、
若い頃、例え多少の回り道をしても、
必ず、いつかはしっかりとした人生を歩まれているような気がします。
後に、私が社員研修の主題を『ココロを磨く』という方向に
シフトしていった根本的な発想も、
やはり、愛情の大切さを実感していたからかもしれません。
(つづく)