先日、女優の川島なお美さんが、胆管がんのため、
54歳という若さでお亡くなりになりました。
最期まで女優でありたいとの本人の希望で、
抗がん治療を受けられなかったそうです。
息を引き取る20分前にお見舞いをした
片岡鶴太郎さんによると、
髪もキレイに整え、ネイルまで施していたとか。
まさに、死ぬまで優雅な女優でありたいと願った
川島さんの美し過ぎる最期だったのでしょう。
と、ビューティーNewsとしては、
異例の書き出しとなりましたが、
自分ならどうするだろう?という自問が渦巻き、
『美しくある』という意味を、
今一度考えるチャンスではないかと思い、
あえて、このテーマでお話をさせていただきます。
実は、この報に触れるまで、
私は川島さんにさして、興味がなかったのですが、
『自分の見せ方』に対して命までかける、
プロとしての姿勢には感服させられました。
もちろん、私は女優ではないので、
そこまで自分のルックスへの固執はありません。
しかも、現段階で抗がん治療の正確な知識もありません。
ただ、抗がん治療が完治を目標としない延命治療であるなら、
苦しんだり、痛かったり、つらい思いをする覚悟はない。
髪が抜けたり、肌がボロボロになるのも御免だし、
やはり抗がん治療はしないのでは?と思っています。
人はいずれ必ず死に至るのだから、
できる限り、自然な状態のまま終末を過ごしたいと…。
川島さんにとっての『美しくある』とは、
単に女優らしい外見を保つということではなく、
女優としての死に様(=生き様)だったのではないでしょうか?
ある人にとっては最愛の子どもたちを守ること、
またある人にとっては自分の仕事をまっとうすることなど、
十人十色の『美しくある』が存在し、そのどれもが正しい。
私は会社の部下たちに、心を磨く大切さを常に説いています。
でも、その心とは?
それは、人を思いやる、信念を貫く、家族を愛する…etc。
その人なりの『美しさ』そのものなのかもしれません。
川島さんの訃報に触れて、私も諸々考えさせられました。
心より冥福をお祈りしています。